DESPERADO & The MOON

前提として。

私の揺るがないいちばんすきで大切なバンドマン/アーティスト/ギタリストは決まってるし、人生で最初に特別になったバンドは特別なまま。

 

休止中のあちらのバンドのファンの気持ちは私には分からない。逆に解散したこちらのバンドのファンの気持ちは、そうじゃない人には分からないと正直おもってる。

ていうか、同じバンドのファン同士でもこんなに違うか!と最近立て続けに思ったりもしてる。

 

だから私は私の感情しか語れない。

 

 

(いまは2023年なので、みたいな話は有る。執着はもう無い。たぶん)

 

 

 

で。

 

彼が大爆発して大暴れして放った言葉は、私が10代半ば頃に「これだけは口にすまい」と自分で決めた言葉そのものでした

実際に1度も言ったことはなくて、19の頃に一層確かに、絶対に人に向けはしないと誓い直した言葉でした

 

背景を慮って寄り添える人は居るのだろうけど私はその立場になくてキャパもなくて、

だから今日は、そんな言葉をファンにぶつけた人をこれから信じていけるか、から始まった夜だったんです

 

 

私から彼に対する好意のアイデンティティである「同担」(ではないけど)がぶれてないなら……とは思いつつ、

 

既に愛してしまったバンドを素直に応援できなくなったらどうしようっていう不安もあったし、

 

そもそもさすがに、私ですら少し怖かった。

ちゃんと無事に名古屋についてる? ステージに出てこれる? しんどくない?こわくない? 

でもなんか、大丈夫そうですよ、とは、会場に入ってまあまあすぐ、思った。だから出てきてよ、って、思ってたら、5分くらい押して思わぬところから現れた。びっくりしたと同時にほっとした。

 

 

頭のほうはちょっとどうかと思ったし、笑って受け入れてるお客さんもいたけど、そんなふうに済ませられる言葉ではないよと【わたしは】思う。

 

けど結論、「言葉じゃなくて行動で」が見えたライブだった。

 

あのね、彼が弾くピアノの音って、彼そのものじゃん。

自分が何年も弾いてきたぶん、ギターよりも受け取れる自信がある。音が時々切れるのも、私が習ったピアノの先生だったらたぶん、もっとなめらかに!ペダルはこうやって踏む!って言うだろうな。チラチラと左右の鍵盤を確認しながら弾いてる姿。たぶんいわゆる「上手」な鍵盤じゃない。こんなにも器用じゃない、こんなにも優しいピアノを、ほかに知らない。こんなに人が音に直なことあります? って逆に思う。

 

欠けてるところがあるのがいいって、フェスの時も言ってましたね。「皆も暗いといいな、基本的に」って言いましたね。私が好きなひとってだいたいなんていうか、根本的にひとは孤独だと思ってそうな感じ。

 

DESPERADO、ねえ、もうやめなよ。昨日、欲しかったろうな。

 

「自然発生する拍手最高!」って嬉しそうにしてたけど、その拍手は貴方の笑顔から始まりましたよ。気付いてるかな。

オー・シャンゼリゼを聴きながら、凱旋門の上にきらきらと広がる夜空が確かに見えました。

 

洋楽は歌詞が分からないから基本的に馴染まないんだけど、彼は彼の解釈と好きなところ、いま歌う意味を添えて届けてくれるから、英語がわかんなくても世界を味わわせてもらえる。クリスマスのクリプトンがそうだった。ふたりが楽しそうにしてると、こっちも釣られちゃうのよ。2023年を肯定できるのよ。

 

「分からないことをわかりたくない」「分からないけどけどわかる」が嬉しかった。最近何でも細かな解説がついてくるじゃん?って。グレーゾーンこそが世界で、すべてに理由は無いよな。それは歌や音や言葉もそうでしょう?

「分からないってありがたくて、だからラテン語が好き」って前に聞いて、そんな発想ある!?!ってびっくりしたのよ。すごいなあこの人の感性、好きだなあって思った。

 

曲を重ねる毎にだんだん笑顔が増えていって、一緒に歌おうって誘ってくれて、「(女の子より食事より)お客さんが一番大事」も、「俺が認めたものはかっこいいに決まってる」も、「今日のお客さんのことすごく好き」も、ここに嘘は無いな、って分かるから。

 

 

 

 

だから、今の新しいバンドがうまれてきてくれてよかったって気持ち、減らなかったよ。

 

すでに好きだから会いに来たし、まだまだこれから彼をすきになるために会いに来ました。

少し、ほんの少し、近付けたと思っていいでしょうか。

 

 

 

 

 

私だって私の好きな人たちを絶対的にかっこいいと思っているからね、

好きの数も大きさも無限で、

毎日イヤホンから好きな音を栄養にして

何ヶ月も先のライブを予定して励みにして

何年も前のライブのことさえ思い出しては糧にしてさ

人生変わるほどたくさんのものを貰ってるけど

 

仮にそれを失ったとて、

好きなひとの元気と幸せに勝るものがあるものか。

 

 

 

ということを推される側の皆様には自覚して頂き、

心身のケアに努め、家族やメンバーや友達に甘えて、

お客さんと同じくらい大事な女の子が出来たらその子も大事にして、大事にしてもらって、

必要であるなら然るべき機関を活用して

健やかにお過ごし頂きたいわけです。

 

 

 

(却ってしんどくない感じで)ファンのことも頼って欲しいし、信じてもらえるファンでいたいよね。

 

 

 

 

 

昨日があろうとなかろうと、来てよかった。

バンドのライブも、1月のソロライブも、楽しみにしてます。

 

 

お菓子、大事にいただきますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追いかけても 追いかけても 逃げていく月のように

指と指の間をすり抜ける バラ色の日々よ

 

 

 

 

 

 

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Rock'n Rollとは何か

 


結論から言いましょう。

今の私の答えは、「好きな自分でいること」。

 

「ロックンロールは好きですか!」

私の大好きなロックスターは、ステージの上からよく、そう問いかけてきた。

確かに所謂ロックと言われるジャンルの音は好きな傾向にあるし、この人たちが奏でる音がロックならそれは大好きなので、いえーい!と言いながら手を挙げてたけど、その音楽的・歴史的定義はわからんもんで、何のことを指しとるんやろうかと思ってた。

 

「ロックの何が好きですか?」

そのロックスターがバンドを解散する最後のライブ前、渋谷で髪を切ってもらいながら、美容師のお兄さんにそう聞かれた。

その時私は、「何がって言うか、ライブがかっこよくて、それが全てで」ってしどろもどろ答えた覚えがある。

そのお兄さんの好きなジャンルは、「世の中がクソやなって歌ってる、それが芯をついてる」んだそうでして。

あとでもう1回考えたら、「ロックっていう広いもんはわからんけど、私の好きなロックバンドは、世の中がクソやなって思った時にも頑張れる力をくれるところが最高なんすよ」って言えばよかったな、って思った。ちょっとマウント取っとる。

 

「ロックが好きなの!?意外!」

だいたいこう言われます。なんか、もっとポップとかクラシックとかを聴いてそうらしい。そのジャンルは否定せんけど、そのイメージは、謎。

 


というか、ロックが好きだからこの人たちを聴いてるんじゃなくて、好きな人がたまたまロックバンドを名乗ってた、くらいの感覚で。

 


ロックロックって言うけど、何をもって?ってずっと思ってた。

アメリカで生まれたなんちゃらが派生して。わからん。

4つ打ちがなんとかで。知らん。

セックス&ドラッグ。古ない?

 


そういうことより、生き様、みたいな話な気がする。で、わからんな、わからんもんかな、と思いながら、無意識に集めてた、3人(人?)の言葉。

 


「かつてロックが発明された時代 混沌とした世界が敵で

勝負の見えてきた現代は 立ちはだかる壁も探せない」

(プッシュプレイ/ポルノグラフィティ

 

私がいちばん長く支えてもらってるロックバンドの歌詞。

どうやら何かと戦うものらしいし、それは明確に定まってもないらしい。

 


「俺にとってのロックは背伸び」

ソロになったロックスターは言った。この時はまじでそれしか言わなかったのでほんとのとこは分からんけど、大事な言葉だと思ったので胸にしまっておいた。

 


「自分を好きでいること」

これはギターヒーローのツイート。こんな世の中を生き抜くために、って。これはすなわち『生き様』の話、と勝手に解釈したのはわたし。

 


この3つを、ほかのいろんな大事な言葉と一緒にしばらく持ち歩いて、ある日ぴぴぴと繋がった。

 


「ロックンロールとは、好きな自分になることなのではないか。」

 


戦うべき相手は自分で、

背伸びして自分を成長させて、

好きな自分に近づくんじゃないか。

 


少なくとも私の大事なロックンローラーたちは、そう言ってるんじゃないか。

 

 

 

で、不思議なことに。

「自分を好きになる」っていう目標を、わたしは数年前にすでにもらっていたんですよね。ロックスターとギターヒーローが組んでたバンドから。

彼らのおかげで頑張れて、そんな自分はちょっと好きになっていいと思えたから、彼らがいなくなっても、自分のことは自分ですきになりたいって。

 


ロックスターがソロになった頃、「いたいとこもださいとこも悲しいことも、全部愛してやろうとしているような。私も私の全部を愛してみたいな」って思った、って日記が残ってる。

 


「301号の部屋 近所迷惑を気にしながら 静かに奏でるそれを ロックンロールと呼んだ」

(Forever young/村上達郎)

うん。

 


もっと遡れば、小学生で出会ってからずっと座右の銘にしていた言葉は、

「みんな違ってみんないい」

(小鳥と鈴とそれから私/金子みすゞ

まあ、当時はもっとひねくれたもんだったけど。

 


ライブに行って好きな人に会って帰ってくるのは、私は私で頑張るためで。

 


ロックンロール、してたじゃん。私。ずっと。

 

 

 

で、もう一段階脳内でこねくり回した。

自分のこと全部を好きになる、は、難しい。

それはきっと無理。

とりあえずステップがでかすぎるし、てゆーかそういうの、向いてない。

 


だめな自分も大事にしたいけど、色んなこと考えちゃう中には嫌いな自分もいるけど、現状維持に甘えるのは違うって思いたいけど。

 


何が欲しい。どんな自分になりたい。

どうして今の自分でしんどいと思うのか。

 


小さく、小さくでいいから、やることを選べ。

ともすればそうなっちゃうような、気を抜いた自分の選択じゃなくて。


どっちの自分が好きかを、選択の基準のひとつにして。

 

少しだけ背伸びして。

それはある意味で嘘だとしてもいい。

いつか本当になればいい。ならなくたっていい。

 


「好きな自分で居ること」

 


これだ。

 


私のロックンロールは、「好きな自分でいること」。

 

ライブに、うたに、ギターにもらっているパワーの行き先は、これなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ついでに。

 


ロック:好きな自分を目指すこと

ロール:生きること

 


って分解できると思って。

 


「Baby そっと I love you 世界は廻る

Baby そうさ I love you キスをしよう」

「くだらないニュースばかりで つまんねえ嘘ばっかでも

どうか笑っておくれよ Keep on rolling!!」

(Rolling/Outside dandy)

 

「音の鳴るほうへ 転がってきなよ Baby」

(スーパーシンガーソングライター/村上達郎)

 

 

「でも声が聞こえたんだ サヨナラの代わりだった
転がってく理由は それだけで良かった」

(ハロー、グッバイ/村上達郎)

 


だから、

 


「頼りない時こそ耳を澄ませよ ロックンロールが聴こえるか
夕焼け小焼けでまた明日 風が吹いている」

(ロックンロールが聴こえるか/村上達郎)

 

 

 

ロックンロール、できてるか。

 

 

 

 

 

ひとりごとみたいな。ふたことめ

 

ふたりめ。推しってやつ。

 

ひとつめのバンドの時のときに、それからふたつめの時に、それぞれどう思いながら見てきて、見送ったかは書いたことがあるからいいとして。

 

どんなふうに好きだったかも、本人に文字で伝えたから、(そしてその下書きが手元に残っているから)もうよくて。

 

この人と同じグループに入ろうと思うと全人類を割るのが2回でやっと。もし同じクラスにいたらきっと苦手なタイプ。

 

なのにどうしてか一目惚れしたあの夜から、私の中の大事なバンドマン第1位をぶっちぎりで独走し続けている不思議な存在。

 

 

ここ暫くの自分はといえば、「推しに胸を張って会える自分でいたい」を第1の指針とすることに、違和感が生じ始めていて。

 

頑張ってる?の、あの日とは、立場も状況も変わって、目指していたものも諦めて。

 

ひとまず目の前にある仕事はこなすことに必死で、これでがんばってると言えるのか、だとか。自分が好きでなりたい職業でもないのに、これをがんばってどうするんだ?とか。

 

快適に生きてみようと思って、選択の基準を快と不快にしてみたら、えらく自分勝手な人間に成れ果てていたり。(今思えばそりゃそう、これは赤ちゃんといっしょ。)

 

転職したところで、自分がこのままだったら意味が無い、とか。

 

違う、違う、違う。何がって、自分が。

 

 

 

 

そうしたら、彼が言った。

 

 

「自分を好きでいること。」

 

 

好きな自分でいること。

 

 

それが大事だと。

 

 

 

腑に落ちた。落ちてしまった。

 

なんだよシンプルな答えじゃないか、仕事ができるようになりたいのもがんばりたいのも、見た目やコンプレックスやなんやをどうにかしたいと思うのも、ライブハウスを捨てられないのもかといって別の将来も捨てられないのも、全部これじゃないかよ。

 

 

と、夜中にTwitterに垂れ流しながらひとりで号泣し、やっとこの感情を飲み込んで心の中に据えて、考えている。

 

 

 

 

 

 

 

ところでそんな彼が20216月に無所属になり、今度はいつ会えるかしらとぼんやり思いながら迎えた112日わたしの誕生日すなわちスーパーシンガーソングライターの誕生日ワンマンの日、

 

彼がギターを持ってステージに現れた。

 

まあちょっとそんな気はしてました、主役の匂わせはしっかり香ってたし、いやでもまさかそんなHAHAHAと思っていたら!

 

聴けたのは3曲。

 

泣こうと思ったら泣き崩れることは出来た。

直視出来なくて顔を覆いそうになった。

 

でも、意識してそうしなかったのは、「見なきゃ」の一心。

 

目で追ってしまうのは、そのひとだけ。

 

ドラムのカウント1発目を聞けば、この曲って脊髄でわかる。

爪が手のひらに刺さるほど強く握りこんだ拳を、ステージに届けと無我夢中で空に突き刺す。

 

この高揚感は、2年ぶりだった。

 

この2年、この数時間、この2曲、存分に楽しんだ。それは絶対嘘じゃない。

 

でもやっぱりこの2人がいっしょにいると、わたしはこのうえなく幸せでたまらなくされてしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

ライブ後、腰の引けている私を友人が推しの前に引っ張っていってくれた。

 

目が合った彼は、「おちちゃん」と言った。

目を細めて、嬉しそうに笑った。

 

その顔を、いまもしっかりと覚えている。

 

 

身じろぎするほどまぶしくて、息を飲んで固まるしかできなくて、うわ泣く、と思った瞬間、「泣いちゃう!泣いちゃう!」って言われて。

 

ほんまにいつもすぐ泣いてすみません、と思いつつ、笑っちゃって。かなわないんだよな、とか。

 

そんな状態でも「お元気ですか?」って聞き返せたのは、元気?って絶対聞いてくれるってわかってたから。

 

誕生日なんですって言ったら、その日かけてたハッピーバースデーめがねをくれて。

写真を何枚か撮ってもらったことと。6月と同じ、「ごめんね」と「またね」をもらったこと。

 

それから。

 

推しを持つ全人類に聞きたい。

「半年ぶりに会った推しが、自分を認知してプレゼントをくれて。帰宅後に自分が更新したSNSを推しが見て、DMくれて、そのプレゼントに来年サイン書くからね、約束ねって言ってくれたら、どうする?どんなきもち?」

 

 

今日会えたことも、プレゼントもサインも嬉しい。

でもなにより、いまも来年もわたしがあなたのこと好きなままだと、わかってくれていることがいちばんうれしい。

 

つぎの誕生日に会えるかもしれないと思うだけで、今年の冬までそわそわしながら過ごしてしまう。

その日のために、なんだって頑張れてしまう。

 

 

 

どこにいたっていなくたって、会えなくたって、結局わたしの推しは彼しかいないのだ。

 

 

ひとりごとみたいな

いちばん好きなバンド/ミュージシャンは?ときかれたら、真っ先に頭に浮かぶ名前がある。

 

解散してから2年と半年経つけど、揺らがずにずっと、いちばんすきで、いちばん大事なバンド。

 

思えば初めてライブハウスに行ったあの日からずっと、(ひとつを除き)誰にも見せるでもない日記を残してきた。

 

これも、この2年半で思ったことを忘れないための、独り言みたいな日記。

別にブログにせんでいいんやけど、手書きするにはあまりに長い。それだけのやつ。

 

 

 

 

 

 

 

2年前に2ヶ月かけて、終わりの儀式をしっかりやり遂げられたおかげで、「復活すればいいのに」とか「いなくなって寂しい」とか、そういう気持ちは自分でも驚くほど少なくて、思いのほか気は確かでいる。

 

気持ちの大きさは変わらず、へこんだ夜にはあのDVDを繰り返し見たし、仕事行きたくないな、と思う朝には彼らの曲を選んだ。

 

会いに行く、だった彼らはすっかり内在化され、「胸を張って会える自分でいたい」は弱った時の大きな指針であり続けた。

 

 

 

4人ともが大好きで、あの4人だったからああいうバンドだったんだろうし、だから惚れ込んだ。

 

核になるのはこの2人、という感覚。

 

もしだれかがこの日記を読んだとしても、この文章に1ミリの悪意もないことだけは理解して欲しい。

 

同郷だから、だけじゃない。

地元に居た時もそういえばはじめから認識していた2人。関西で再会した時も居続けてくれた2人。

 

 

そしてこの2年、より多く会えたのも、この2人。

 

 

 

かれらに出会った高校生の頃、聴いて感じたのはカタルシスだった。すくいあげられた、という感覚。自分のことも見えない10代の、うすらぼんやりとした世界への鬱屈。

 

OVER以降は、空を飛んでいきそうな勢いを、自分に無いものを持つ人へのあこがれの目線で追い続けた。20代、真ん中。

 

いまおもえば事務所にいた時期の、空を飛んでいきそうなかっこよさ、ってのがもしかしたらギタリストから発せられたもので。

 

今思えば後期にあたる、地に足を着けて真っ直ぐ前を睨んだ、ずしりと重たいロックンロールの「ショー」。

 

それが複数人の性格が足されて混ぜられて、バンド(集合体)としてひとつになったもの、だったとしたら。

 

あれは2人のどちらでもあったけど、どちらでもなくて。「自分ではない」は、得てしてながく続けるには無理のあることだったのだろう。

 

自然なことだったのだ、と、いまは思う。

 

 

 

そのバンドでボーカルだった彼は、あの後すぐにソロで活動し始めた。わたしは迷いなくついていった。そして、「おかえりなさい」と思った。

 

個人的な悩み事なんて話したことはない。わたしのことを歌っている、とも思わない。

 

全部を自分と重ねて聴いてるわけじゃないことも強調しておく。鴉や三つ数えろのような鋭い強さを私は自身に求めないし、レイラみたいな運命の相手もいたことはない。昔からハートブレイク曲がやたら多いけど、わたしにそんな経験はない。

渡せなかった手紙の中身も違う。

 

それなのに。

座り込んだ10代は卒業して、自分の足元や輪郭が見えてくる変化を、多少なりきっと同じようにたどって。

 

内面の擦り傷や泥濘を、放っておくと際限なく沈んでいく心を、自分が嫌いな自分を、この人は拾ってくれる。

この感覚が、あの頃と同じだった。

 

 

彼の歌はときにわたしよりも雄弁にわたしを語る、と言ったら自意識が過ぎるか。

どれほど言葉を尽くしても他人に伝えられない部分を、ときに知られたくはない部分を、「このひとはわかってくれている」と思えてしまう。

 

だって、これは歌だから。

 

そういう歌だから。

 

こういうところが「スーパー」なのだ。

 

この幅広い曲のそれぞれを、これらを心のうちに同居させるこの人を、敬ったり愛おしかったり痛かったり救われたり、何せひとことでいえば、こころから好きで。

 

バンドの頃とはちがったり、確かに同一人物だとも思ったり、ただより生々しく、一貫して、信じられる歌に。

 

ライブで言うと、MCは変わった。

これは、(今日は)こういう曲。だから、いまここでうたう。曲を通して何を私たちに言いたいのかを、ぎちりと伝えるための足がかり。

わたしたち、客への気持ちも繰り返し話してくれる。つまりは愛で。だからわたしもここにいて良いのだと。さすがに自惚れていいよね。

 

ひとり対多数じゃなくて、「シンガーソングライターひとり」対「ファン1人」がたくさん存在する、って感覚。

 

もっと具体的で個人的なエピソードを残しておく。

ライブの予約を本人にDMで送ると、定型じゃないお礼のメッセージがかえってくる。しかも私がとりあえずどこに住んでるかわかってる。

予約したライブが中止や延期になったら、公式発表のまえにDMで教えてくれる。

ひとりでTwitterでわめいてると見つかるらしく、時々リプやいいねが飛んでくる。

サイン書いてくれるとき、「苗字変わったんだよね?」って何故か知ってる。

誕生日ワンマンの数日後、今年は私は何も言っていないのに「誕生日おめでとう」ってDMがくる。

わたしがいつもサイレントで帰ることすらもバレている。

 

など、など、など。

 

 

彼そのものに違いない人間臭さ溢れる曲にも言動にも、ぶれや矛盾がないもんだから、こんなに捻くれたまま大人になってしまったわたしも、彼だけは信じる他にないのだ。

 

 

 

この人、2年をかけてこの感覚をどんどん掘り下げてきた。怖い。沼の深さがえげつない。やばい。

嘘のない彼の歌をこのまま、どうかこのまま、なるたけたくさんの人が聴いてくれたらいいよなあ。

 

 

全世界の人間を8種類くらいにわけたとしても、多分同じタイプに入れると図々しく思っている。わたしが超頑張って超ニンゲンみがいたとして、そしたら1ミリくらい近づける気がするのだ。

 

 

2021.6.7〜11

東京は高田馬場駅、名前はテレビでよく見る。

初めて東京に来てから4年弱、何度来たかも数えてないけど、なんせ初めて降りた。


来るつもりじゃなかった。


もともとイベントが発表されたとき、予定は2月。スーパーシンガーソングライターとバーニングファイヤーロックバンドの出演も知ってた。

好きなカメラマンさんが主催だった。彼が撮った、好きなバンドマンたちの写真が見れることも知ってた。

もう居ないけど、私の中では永遠にいちばんの、あのバンドの写真が久しぶりに見れることだってわかってた。


でも、コロナ禍の東京にくるつもりなんて毛頭なかった。仕事だってある。

つまりは、「行かない理由」のほうが大きかったのだ。


事情が変わってしまった。

イベントは6月に延期。そしてその開催数日前、出演予定だったバンドの活休及び、メンバー3人の脱退が発表された。


その中に、「推し」が居た。



お知らせを見たのは仕事終わりの休憩室、体の力が抜けて座り込んだ。予兆が無かった、とは言えない、けれど5人できっと帰ってくるって思ってた、思いたかった。


最後に行ったのライブはどれだっけ、最後に話したのはいつだっけ、そんなことも咄嗟に思い出せない状況のまま、会えなくなる。


絶対に嫌だった、でも、どうしたらいいのか分からなかった。


そんなタイミングでの、このイベント。

長年のバンドマンおっかけ生活で身につけた、行かないと決めたイベントは忘れる習性を、今回も発揮していたのだけれど。


「この5人でのバンドの画が見れるのはこれが最後。」


そうか。


行く理由と行かない理由の重みが、逆転した。


行くと決めてから考えた。時勢、お金、予定、家族。なんとかなる、なんとかする。


だって行かなきゃ、絶対後悔する。


主催のカメラマンさんに一度だけ、写真を撮ってもらったことがある。カメラはわたしのiPhone。わたしと、推しであるところの彼と、いわゆる同担である友人、3人の写真。

その場では1枚しか撮られてないと思っていた写真は後で見ると実は何枚かあって、「はいチーズ」に至るまでのリアルがおさめられていた。


愛媛県松山市のライブハウスだった。いい日だったな、と、見る度に生々しくおもう。そういうことなのだ、写真とは。




行くことだけは決めたものの気持ちは追いつかずよく理解も出来ず、あらゆる音楽は聴けなくなり、脳みそに隙間ができた瞬間には彼()のことが浮かび、何回かちょっとだけ泣いて、メンバーコメントを何度も読んで、今まで買ったたくさんの写真をひと通り見て、3日間を過ごした。


もう会えなくなると思ったのは、2回目。

1回目から2回目までの期間は、1年半。


この期間、行けるライブには全部行った。かっこよかった、楽しかった、でももっと会いたいとおもうばかりだった、変わらず好きだった、もっと好きになれると思った、もっともっと活躍してくれと願った、夢は全部現実になってほしかった。


一度終わってからのボーナスステージにしては本気すぎたし、エピローグにしては長すぎる。本編第2部が始まったと思ったら打ち切られた、多分そんな気持ち。


裏切られたとか、怒りみたいな感情は全く無い。残念とか悲しいとかもちょっと違う。会えなくなるなら寂しいと思ったし、元気にしてるかな、と思った。


ひとにはいつ会えなくなるか分からないことはそろそろ体が覚えていて、自分なりにめいっぱいのことはした自信はあるから、そういう意味での後悔はないことだけは自分を褒めたい。


だから2021611日、

思い出すのは同じ道を歩いた1年半前のこと、頭に浮かぶのはあの日に思った言葉、「好きなんやけん仕方ないよなあ」。


で、東京は高田馬場

ひとつめの出演バンドのことを、申し訳ないことに知らなかったのだけれど。MCで、活休とか、「脱退」と聞こえてきて、咄嗟に「いやだ」と思った。それまで、使うことをわざと避けてた言葉だった。

 

いやだ、そりゃそうだよな、とそういえば初めて自覚した、でもそう思うことが悪いわけじゃないじゃんね、開き直ってひとりでぼたぼた泣いた。アラサー女がひとりでどれだけ泣いたって許されるはずだ、だってここはライブハウスだから。


そういう理由でスーパーシンガーソングライターの出番のあいだは思う存分泣かせてもらった、嗚咽が漏れるかと思った。このひとのうたがスーパーなのはもう知っているのだけど、全部の積み重ねがあって、それで今日なわけで、それはもう泣いた。

さっきから来る理由がどうの、と言ってるのはこの人の言葉を借りた、まさにそうだったから言語化するならこれしかなかった。こういうところがスーパーなんだと思う。


普段だったら、知らない対バンだって全部見る。誰に向けてかはわからん礼儀のつもりだった。

でも今日ばかりは残りの2バンド分、フロアで写真を見ながら、友達と喋りながら過ごした。







ここからは非公開、わたしだけの記憶にする。

今日は2020/11/22。





9月の末頃から、1年前のあの日は、と毎日考えるようになった。


2019/9/19の夜のこと。


メンバーと話す勇気が出ず、顔を合わせる前にわざと帰った10/6、17の2回。

を踏まえての、10/19。

10/26.27も東京にいた。


11/4に話してもらったこと、11/8に初めて行った箱、最初で最後のままだなあ。

行けなかった11/13とその対バン相手、


そして、そして。


2019/11/22で、私の世界はビフォーとアフターになっている。






ギタリストがサポートとしてステージ復帰したのが、2019/12/14。


世の中はその後めまぐるしく変わって、


正規メンバーデビューになるはずだった4/4からのイベントが、本当に直前になっての、延期決定。


結局正規メンバーの彼にわたしが初めて会えたのは、8/9のこと。やっとだった。正直サポートとか正規とかもはやどうでもよかった。



この4ヶ月はどうやって生きてたのか、正直あんまり覚えてない。


ライブができるようになってからは、

行けるものは全部行くスタンスを取り戻したこととそもそものライブが多いバンドなせいで

色んな理由で行けないライブもいくつかあった癖に不思議なことに慌ただしく、あっという間に2020/11/22になった。





4月に据え置かれていたときのこのイベントの立ち位置を踏まえると、この日取りは完全に運命。思い出さないわけが無い。






でも



気づいてしまったんだよなあ、2019/11/22までにたくさんたくさん通ったライブで、行くたびに泣くほどだったのは、


その歌を作ったのがあのひとだったからだったって。


ひとつのかたまりのそれぞれがあちらこちらへ別れて、

今もひとまえに立ち続けるふたりのそれぞれの、配信を、ステージを見る日々を一年続けて、


両方のステージをしっかり見れたタイミングで確信してしまった、だからわたしはあのバンドが大好きで大切だったんだって。




片方だけでは、わたしはあの頃のようにはなれない。




善し悪しとかじゃない、11年追いかけたバンドとたかだか数年好きなバンドで、そもそも当たり前に音楽がメンバーが違うのだからこちらの受け取り方も変わって当たり前で、そんなのなんも悪くなくて、今のバンドだって好きなことに違いはないけれど



「今のバンドのファン」を名乗ることは出来ないままだ。






もし両方のバンドが今も生きてたら、

今頃すっかり単純にファンを名乗れていたかもしれないし、

元通りひとつのバンドしか追いかけてなかったかもしれない。







余計なことを考えすぎな自覚は腐るほどある。

失礼かもしれんとは思ってる。



そういうの全部いったん置いたら、

ステージに居てくれることが奇跡みたいだとか、

そのステージがキラキラしてて大好きだとか、

だから安心してみていられるなあとか、

楽器の音が最近よく聞こえてうれしいなとか、

自分のアレンジのとこたのしいのかなとか、

こっちのギターソロ好きだなあとか、

その音の入った音源、早く欲しいなとか、

相変わらず言うことがかっこいいなあとか、

顔もよすぎてちょっとよくわかんないなとか、

あのときから髪の毛は重要ポイントだったとか、

細くなりすぎて意味わかんないけどつまりはそういうとこ見習いたいなあとか



何より、今幸せってことばを聞けて嬉しいな、とか。








今のバンドのボーカルのことも好きだ、

エモーションがバーニングしてるバンドのフロントマン、まさに。

歌は上手いし、ベリーストロングのどだし、グッズ持ってるの見ては声掛けてくれるし、常日頃の企画も、ファンのことまでよく見てくれてるんだなと思う。健康だけは心配。



今日の最後のMCで、「1年前はこんなことになってると思わなかった」話をギターのひとに振ってくれたのは

バンドとしての表明もあるけど、

あれが聞けて嬉しかったファンは私以外にも絶対いただろうな。そういうとこ、と思う。


そういうひとがつくったバンド、そういうひとのところに集まったメンバー。


だからここで良かったし、

ここじゃなきゃもっと嫌だったろうな。




ファンの立場でいまを受け入れるには

やっぱり演者側がそうであってくれることが重大で、


だから弾き語りのひとがキャスで話してくれることやワンマンがとても良かったこと、彼自らが今のバンドを応援していること、


元のバンドのドラマーさんからもらった言葉、


今のバンドのボーカルの人がライブで彼を紹介するたびに溢れるほどの愛を感じること、




2019/11/22に見たライブと、そのあとにもらった大切な時間、それから12/14以降のすべて。








前のバンドくらいのめり込んでずぶずぶに浸りたい気持ちもありつつ


あの時は自己投影しすぎたり思い入れが変に強すぎてなんだか上手く応援できなかった自覚もあるから、今の距離感の方がなんなら健全な気もしているし











































全部が矛盾するような気がして、

いまを全肯定出来ないような気がして、

そんな自分を許せないでいる


けど



書きながら思った、

もしかしてこれ含めて全部持っていけたらいい。


一方向の変化じゃなくて、行きつ戻りつしている自覚はある。










「それでも」








それでも。



























でもやっぱり余計なこと考えすぎな気はする、基本のスタンスがおもたすぎるんだよな〜〜〜〜〜〜〜〜推しと関わりのない趣味の1個や2個くらいほしいところだわ。


















 



















蛇足的なおまけ

そんなわけであれからまる3ヶ月とちょっと、実働は2ヶ月、行ったライブは6本にもなりました。なんならハイペース。


ダンディの解散が発表された頃はね、ライブハウスはしばらくよう通わんなると思っとったんよ。
だってダンディのおらんライブハウスに通うモチベーションは無いし、思い出して悲しくなるのも嫌やし、

ギタリストはおらんくなるとおもってたし。
それほどの覚悟に軽率に口は出せん、とは思いながらいろいろ垂れ流したことは反省しているけど、何より元気に幸せにおってくれたらいいなってのは本音で、直接伝えられたのはそれだけで。

けどやっぱりさ、ステージ復帰するって知った時は、本当に嬉しかった。あれこれ考える前に、まだ会える、なら会いに行く、って思った。

やけん、今はそれを実行しよる。

とはいえまぁほんとはあとから、「あれこれ考え」もしたけど。不安よりも期待の気持ちで踏み出せたのには、そこがそれ媚びやったけんやろな。

「それでも尚、未来に媚びる」。

ダンディとそれ媚びのどっちかを追いかけてきた人なら絶対わかる、このひとたちがどんなふうに仲良くて、どんなライブをして、どんなふうにかっこいいか。

またライブハウスに行くようになるならそれこびやと思ってはおったけど、こんなに早いとは思ってなかった。笑

2019年12月14日、神戸太陽と虎。
サポートギター、デビュー戦。

何回も来た、上手端の最前列。
今までは、自分が心置き無くステージをよく見るためだけに陣取ってきた場所だけど、この日は、もしかして知ってる顔が見えたらいいかななんて、烏滸がましくもほんのちょっと思ったりして、自分の心持ちが変わったことも知った。
それこびのファンも受け入れてくれてるように見えたし、ダンディのファンに囲まれたギタリストがすごく嬉しそうで、よかったなって心から思った。

かるびさんとも再会したり(思ったより早い)、愛媛に帰ったり、ダンディで出会った友達ともまた会えたり、友達のおかげで推しと喋れたり、それからもちろんステージには全力で立ち向かって、それ媚びの居るライブハウスを楽しんでいる。ほかのメンバーさんにも頑張って話しかけてみたいなと思ったりもする。(がんばる)

彼らがどういうバンドなのかまだあんまりわかってなくて、改めて最近ずっと聴いてて。
いま、わたしがそれ媚びをひとことで言うとしたら諸行無常、どうしても抗えないものはある、いつか迎える死までを見据えて尚、生きる。

風の匂いがする、足の裏は土を踏んでいる、目線は前を向いている、近くには仲間がいる。

「やる、やらんじゃない、やれ、やれ、やれ」

「春の繁みまで歩いてく」

まるでバンドの名前を体現したかのような。だから、こんなにも揺さぶられるんだろうな。

それ媚びに出会ってから実は4年くらい経つんだけど、会うたび聴くたびすきになる。それ媚びがかっこいいバンドでよかった、私にとってはまだまだこれから、本当にありがとう、どうぞよろしく、の気持ち。








それからこの間は、達郎さんにも会えた。世の中がウィルスに騒ぎ始めた頃でもあって悩んだけど、悩みながら後遺症(友達が買って送ってくれてた)を再生したらその瞬間、いやいく!!!ってなったので、我慢できず。

折に触れて達郎さんが「ひとりになっちゃったので」といってたり、脳内で勝手に『ギター!』ってきこえてきて誰もいない上手側をちょっと見てしまったりもしたけど。

わたし、達郎さんのうたがめちゃくちゃに好きみたい。バンドから切り離しても、シンガーとしてめちゃめちゃに好きみたい。

痛いところもださいところもかなしいことも、全部愛してやろうとしてるような。
私も私の全部を愛してみたいな、なんて。

ダンディに出会った頃の感覚と、根底で通じてる気がする、そうかあれも、達郎さんがくれたものだったんだなあって。

あのころのダンディとも、最近のダンディとも、形式やうたってることややり方やなんやは違うけど、だからこそ。

これが正真正銘の達郎さんのうた、なら。
いまも歌っててくれて、うれしい。

おかえりなさいと、心から思う。


カーテンコールを聴く度におもう、この感情を愛と呼ぶことを教えてくれたのは、あなた達です、って。





ライブイズオーバー、愛が溢れて超ヤバイ。