『さらば、ロックスター』感想に代えて (校正済み版)

Outside dandyに出会ったのは、2008年3月、松山サロンキティ。CDを手に入れて聴いた、プレーヤーに刺したイヤホンから脳に音を突き刺すように、大音量で毎晩、何度だって聴いた。ライブハウスに路上にと、何度も見に行った。

ダークな世界観への憧れとか、学校や親への反発心とか、どうにもならん感情たちを抱えて。いわゆる救いのうたではないだろうになぜだか、心がまるごと、確かにすくわれた気持ちだった。

2009年に彼らを東京へ見送って、手元にある数枚のCDを聴き続けたけど、ライブハウスには行かなくなった。
再会したのは2014年の京都。メンバーの半分が入れ替わっていた。でもやっぱり好きだった。

今度は関西で、またライブに通い始めた。前方に陣取るくせに、微動だにせず、ただ時々泣きながら、黙って聴いた。救いを求めるような気持ちだった。見るだけ見て、誰とも喋らないまま、帰った。

2016年、OVER全国発売。あの高揚感も、京都の大学院の研究室でMVを見たことも、店頭にCDが並んでるのが見たくて、大阪でタワレコに行ったことも、全部覚えてる。

彼らが立ち上がったことを感じた、ライブの様子も変わった、聴き方がかわった。音楽も、人としての姿勢もどんどんかっこよくなって、バンドの一枚岩感と分厚さも増して、何もかもが憧れだった。

「ロックンロールミュージックショー」はあの頃には始まっとったとおもう。確かあのころなんだ、達郎さんの口から初めて「ショー」という言葉をキャッチしたの。

このアルバムを引っ提げたツアーの名前は、「愛を超えて」。

自分にとって愛を超えるとは何だと考えた、それはOutside dandyに向き合うと同時に、自分と向き合うことだった。
ライブを楽しめるためには自分がちゃんとしとかんといかんと分かった、自分を好きだと思いたくなった、胸張ってダンディに会える自分でいたかった。ダンディがかっこよかったけん私もがんばれるんよ、楽しかったけん明日も生きていけるよって言いたかった。

Outside dandyのライブを、素直に楽しいと感じるようになった。 ライブハウスで、少しずつひととしゃべるようになっていった。
東京にも、何度か会いに行った。今のホームで戦う彼らはたくさんのひとに愛されていることを、肌で感じた。

ダンディのネクタイピンを作っているアーティストさんに、ピアスを作ってもらった。モチーフに選んだのは、OVER。
この曲にもらった気持ちを忘れたくないから、身につけられるお守りとして。

だから解散の真相を教えてくれるブログを読んだ時、絶望も強かったけど。一方で本当は、「やっぱり」とも思った。何がやっぱりだ、わたしはこの11年、何かを彼らに伝えたか返したか、見て見ぬふりしてきたよな、解散が発表されたときですら、自分の悲しみや怒りを無遠慮に垂れ流すばかりだったじゃないか。

のこのこと顔を見せていいのか分からなくなったけれど、やめられなかった。会いに行っては泣いて、でも結局、かっこよかった、とか、楽しかった、という気持ちを貰ってしまって。このひとたちはバンドマンじゃなくなっても、同じように格好よく生きていくんだと思ったし、何より、OVER以来の3年間のことを、何かを“できなかった”時間だとは到底思えない、だって確かにあの曲で私は変わったし彼らはずっと確かに格好よかったじゃないか。言わなくてもいい真相を教えてくれるほど、どこまでも真摯なこの人たちに、今更だけれど出来ることは、やっぱり最後までライブに行くことしかなくて。一番したいことは、やっぱりライブをみることで。

だから、2019年11月22日、渋谷TSUTAYA O-Crestに、行った。

この日のセットリストに、この12年間が隙間なく詰め込まれているとおもう。

ロックンロールミュージックショーは、いまのOutside dandyのライブを紹介するならこうなる、そういう曲。「鬱憤を置いてけ、俺らがそれをロックンロールに変えてやるよ」、だ。

サタデーは、昔どっかで「お客さんへのアプローチの方法が変わった曲」みたいなこと言ってたよね。ステージの4人がいちばん交差する。いつも上手にいるわたしがゆうまさんを見られる貴重な時間でもあって。ゆうまさんもいつも笑顔だったなあ、くちでリズム刻んでるのが可愛くて、真似してみたりして。
なにより私たちはこんな気持ちでライブハウスに来ることが、確かにある。

東京Diverはタイトル通り。達郎さんのうたの、こういうところがとてもすきだ、例えばどうしたって物悲しい気持ちに溺れそうな夜に、例えばそれでも溺れてはいられない夜に、一緒にいてくれる。
翔さんのギターと達郎さんの声にリズム隊の音が重なった時、この世界はぶわぁと広がる、想像だけどOutside dandyというバンドも、きっとそうだったんだろう。
“月が照らす”“海は青く”、コンクリートの海を目にしながら、脳内に浮かぶのは故郷の瀬戸内海。その景色の間違い探しに心をひりつかせながら、ここで生きてく。いわば“関西ダイバー”である自分の身と重ねたりして。今日は、“息さえできない夜を泳いで”きた、このバンドのいのちの一側面に思いを馳せて。

シャララソングなんて達郎さん自ら“ハッピーソング”って呼ぶからね、考えられへんかったからねOutside dandyのハッピーソング。この歌でダイバーズのふたりはこんなことしてたんだな、このふたりの優しさや信頼が滲み出てるのを見るのが好きだったな、同郷の二人というだけじゃなくて、このふたりがほんとに好きだったな。

ただこの流れで「泣かせに来たわけじゃないよ」はね、泣くよね、でもただ、悲しいだけの涙じゃないから、やっぱりいちばんかっこよくって、いっぱい笑ってもいるから、本当に好きだけどだからごめん、泣かずにおれんくて。
結構序盤やった気がしてたけど、DVDみたらだいぶうしろやね。あっという間に感じてたんやろうなあ。

本編最後に据えられたミッドナイトタクシーレディオは「大事な曲」。
「後悔ひとつないように、生きてってくれよ、あんたらは!」。解散発表の時の達郎さんの言葉を思い出す、このありふれたセリフに、こんなにも実感が篭もることがあるものか。しかもこの局面でこのひとは、自分の事じゃなくフロアへの言葉を放つんだ。
 
Midnight Trainを生で聴いたのは、2009年3月20日、上京前の松山ラストライブ以来、じゃないかな。

わたしを当時からのファンと知るひとが、この時に私のことを思い出してくれたらしいと知った。かるびさんにも後で、「大変なことになってたね」と笑われた。
(かるびさんはほんとうによくファンのことをみてくれている、しかもあんまりにもすとんと受け止めてくれることに、何度驚いたかわからない。)

だってそれはそうだ、あの会場で、メンバーの次にこの曲に思い入れがあるのは、絶対に私だ。(知らんけど。松山の頃からのファンって他にもおったんかなぁ、会ってみたかったかもなぁ)

正直に言うと当時の認識は、「夢を見る人は何だか東京に行きたくなるらしい」、程度だった。
夢やなんやをステージで語るバンドではなかったし、私の気持ちも今より余程単純なものだったし、喋った事もCDの売り買い程度、顔も覚えて貰ってなかったと思う。

ただ、当時なりに本当に好きだったことは確かで。長い年月ずっと見てきて、今はもっともっと愛していることも、確かで。

この数年、ダンディが愛媛に帰るときは、絶対一緒に帰ってきた。当時の古い曲を時々演奏してくれる度、とても嬉しかった。

その曲を演奏するということは、その曲自体や歌っている中身、その時々の自分たちを受け入れることだと思ってるから。

16歳のあの夜も彼らに会えなかったあの5年間も、この11年、ずっとずっと何回も何回も聴いた曲なのに。皮肉なことに、解散発表のあとにこの曲を聴いた時、今までになくすんなりと急激に、何もかもが染み込んできて、理解してしまった。
今のことを歌っているのだとすら、思った。

Midnight Trainが生まれた日からまるでこの曲に歌われているような今日までを、愛媛でうまれて東京で育っていったOutside dandyの12年間を、全国各地から集まったファンの愛が包んでくれたような。彼らを見つけてくれた人たち皆にも、ありがとうって思えた。

この曲を歌う彼らに、やっと、本当にやっと、拳をあげて応えることが出来た。

あの日も客席を振り返った気がするけど、映像で見ても改めて、ほんとに良い景色やったね。

そして、この客席を作ってくれたのは、今ステージにいる、この4人で。

翔さんのインタビューに、同じ気持ちと言うとおこがましいけど、頷くことしか出来んかった。

この日この場所でこの曲をやってくれて、本当に、本当にありがとう。

同じ曲が違うようにきこえるといえばさらばロックスターもそうで。見送る時に歌ってたやん、上京する時の気持ちや言うてたやん、いや実は今のこと歌ってんの?「忘れた大事な何かを探しに行こう」、って。

OVERも、あのツアーぶりだったよね。
耳たぶにつけたピアスを指で握った。きっとこの場にいる全員ごと、この曲も、救い出された。

この13曲、のべ14曲、には、12年分の泣いたことも笑ったこともたくさんたくさん、ぎゅうぎゅうに詰め込まれて。きらきらとそして力強く、輝いてた。
この夜を、一本の映像として残してくれたこと、本当に嬉しくおもう。

あの日は1曲1曲始まる度に、ああこれがこの曲の最後かと思ったのだけど。不思議なことにあの後も同じ人に歌われた曲もあれば、終わったいま聴くとまた色んなことを思ったりもして。

解散が必要なことやったとか解散したから何かとか、そういうことはなかなか言えんし、こんなにかっこいいのにっていっぱい思うけど、わたしもあの日を超えてから、「自分の力で」自分のこと好きになりたいそのうえで彼らに会いたいと思うようになって。立場は違うけれども「自立」という意味で同じ部分があると思って。

Outside dandyが全てと言ってもいいほどのめり込んで、たくさん助けられてきたけど。

「俺たちの人生は/続いてくんだ/これからもずっと」。

「駆け抜けろ/その先に/見た事ない世界がある」。

だから。

ダンディにもらった元気とか勇気とか思い出しながら、もしかすると新たにそっと救われながら、人生をやってくんだ、自分のちからで。

いま手元には、20枚近くにもなったCDと、買い揃えてきたグッズたち、いくつかの特別な宝物、自分で留めてきた記録、何十枚もの写真、一枚のチェキ、一枚のDVD。

だから何回だって、何があったって、思い出せる。

ネクタイ締めてかっこつけてるくせに、いつだって汗だくの、最高のヒーロー。

Outside dandy、世界一かっこいいロックンロールバンド。





12年間お疲れ様でした。
長い間、本当にありがとう。

さらば、ロックスター。

これからもずっとずっと、一生、愛してる。














































許されはしない、許されることだとは思ってない、許すとか許さんとかの話なんかすらわからんし、今だって会いに行っていいのかとちょっぴり思う、けど、会いに行くのをやめる方が、もっと違うと思うから、まだライブハウスに通うことを辞められない、 辞められそうにない。