東京は高田馬場駅、名前はテレビでよく見る。
初めて東京に来てから4年弱、何度来たかも数えてないけど、なんせ初めて降りた。
来るつもりじゃなかった。
もともとイベントが発表されたとき、予定は2月。スーパーシンガーソングライターとバーニングファイヤーロックバンドの出演も知ってた。
好きなカメラマンさんが主催だった。彼が撮った、好きなバンドマンたちの写真が見れることも知ってた。
もう居ないけど、私の中では永遠にいちばんの、あのバンドの写真が久しぶりに見れることだってわかってた。
でも、コロナ禍の東京にくるつもりなんて毛頭なかった。仕事だってある。
つまりは、「行かない理由」のほうが大きかったのだ。
事情が変わってしまった。
イベントは6月に延期。そしてその開催数日前、出演予定だったバンドの活休及び、メンバー3人の脱退が発表された。
その中に、「推し」が居た。
お知らせを見たのは仕事終わりの休憩室、体の力が抜けて座り込んだ。予兆が無かった、とは言えない、けれど5人できっと帰ってくるって思ってた、思いたかった。
最後に行ったのライブはどれだっけ、最後に話したのはいつだっけ、そんなことも咄嗟に思い出せない状況のまま、会えなくなる。
絶対に嫌だった、でも、どうしたらいいのか分からなかった。
そんなタイミングでの、このイベント。
長年のバンドマンおっかけ生活で身につけた、行かないと決めたイベントは忘れる習性を、今回も発揮していたのだけれど。
「この5人でのバンドの画が見れるのはこれが最後。」
そうか。
行く理由と行かない理由の重みが、逆転した。
行くと決めてから考えた。時勢、お金、予定、家族。なんとかなる、なんとかする。
だって行かなきゃ、絶対後悔する。
主催のカメラマンさんに一度だけ、写真を撮ってもらったことがある。カメラはわたしのiPhone。わたしと、推しであるところの彼と、いわゆる同担である友人、3人の写真。
その場では1枚しか撮られてないと思っていた写真は後で見ると実は何枚かあって、「はいチーズ」に至るまでのリアルがおさめられていた。
愛媛県松山市のライブハウスだった。いい日だったな、と、見る度に生々しくおもう。そういうことなのだ、写真とは。
行くことだけは決めたものの気持ちは追いつかずよく理解も出来ず、あらゆる音楽は聴けなくなり、脳みそに隙間ができた瞬間には彼(等)のことが浮かび、何回かちょっとだけ泣いて、メンバーコメントを何度も読んで、今まで買ったたくさんの写真をひと通り見て、3日間を過ごした。
もう会えなくなると思ったのは、2回目。
1回目から2回目までの期間は、1年半。
この期間、行けるライブには全部行った。かっこよかった、楽しかった、でももっと会いたいとおもうばかりだった、変わらず好きだった、もっと好きになれると思った、もっともっと活躍してくれと願った、夢は全部現実になってほしかった。
一度終わってからのボーナスステージにしては本気すぎたし、エピローグにしては長すぎる。本編第2部が始まったと思ったら打ち切られた、多分そんな気持ち。
裏切られたとか、怒りみたいな感情は全く無い。残念とか悲しいとかもちょっと違う。会えなくなるなら寂しいと思ったし、元気にしてるかな、と思った。
ひとにはいつ会えなくなるか分からないことはそろそろ体が覚えていて、自分なりにめいっぱいのことはした自信はあるから、そういう意味での後悔はないことだけは自分を褒めたい。
だから2021年6月11日、
思い出すのは同じ道を歩いた1年半前のこと、頭に浮かぶのはあの日に思った言葉、「好きなんやけん仕方ないよなあ」。
で、東京は高田馬場。
ひとつめの出演バンドのことを、申し訳ないことに知らなかったのだけれど。MCで、活休とか、「脱退」と聞こえてきて、咄嗟に「いやだ」と思った。それまで、使うことをわざと避けてた言葉だった。
いやだ、そりゃそうだよな、とそういえば初めて自覚した、でもそう思うことが悪いわけじゃないじゃんね、開き直ってひとりでぼたぼた泣いた。アラサー女がひとりでどれだけ泣いたって許されるはずだ、だってここはライブハウスだから。
そういう理由でスーパーシンガーソングライターの出番のあいだは思う存分泣かせてもらった、嗚咽が漏れるかと思った。このひとのうたがスーパーなのはもう知っているのだけど、全部の積み重ねがあって、それで今日なわけで、それはもう泣いた。
さっきから来る理由がどうの、と言ってるのはこの人の言葉を借りた、まさにそうだったから言語化するならこれしかなかった。こういうところがスーパーなんだと思う。
普段だったら、知らない対バンだって全部見る。誰に向けてかはわからん礼儀のつもりだった。
でも今日ばかりは残りの2バンド分、フロアで写真を見ながら、友達と喋りながら過ごした。
ここからは非公開、わたしだけの記憶にする。