蛇足的なおまけ

そんなわけであれからまる3ヶ月とちょっと、実働は2ヶ月、行ったライブは6本にもなりました。なんならハイペース。


ダンディの解散が発表された頃はね、ライブハウスはしばらくよう通わんなると思っとったんよ。
だってダンディのおらんライブハウスに通うモチベーションは無いし、思い出して悲しくなるのも嫌やし、

ギタリストはおらんくなるとおもってたし。
それほどの覚悟に軽率に口は出せん、とは思いながらいろいろ垂れ流したことは反省しているけど、何より元気に幸せにおってくれたらいいなってのは本音で、直接伝えられたのはそれだけで。

けどやっぱりさ、ステージ復帰するって知った時は、本当に嬉しかった。あれこれ考える前に、まだ会える、なら会いに行く、って思った。

やけん、今はそれを実行しよる。

とはいえまぁほんとはあとから、「あれこれ考え」もしたけど。不安よりも期待の気持ちで踏み出せたのには、そこがそれ媚びやったけんやろな。

「それでも尚、未来に媚びる」。

ダンディとそれ媚びのどっちかを追いかけてきた人なら絶対わかる、このひとたちがどんなふうに仲良くて、どんなライブをして、どんなふうにかっこいいか。

またライブハウスに行くようになるならそれこびやと思ってはおったけど、こんなに早いとは思ってなかった。笑

2019年12月14日、神戸太陽と虎。
サポートギター、デビュー戦。

何回も来た、上手端の最前列。
今までは、自分が心置き無くステージをよく見るためだけに陣取ってきた場所だけど、この日は、もしかして知ってる顔が見えたらいいかななんて、烏滸がましくもほんのちょっと思ったりして、自分の心持ちが変わったことも知った。
それこびのファンも受け入れてくれてるように見えたし、ダンディのファンに囲まれたギタリストがすごく嬉しそうで、よかったなって心から思った。

かるびさんとも再会したり(思ったより早い)、愛媛に帰ったり、ダンディで出会った友達ともまた会えたり、友達のおかげで推しと喋れたり、それからもちろんステージには全力で立ち向かって、それ媚びの居るライブハウスを楽しんでいる。ほかのメンバーさんにも頑張って話しかけてみたいなと思ったりもする。(がんばる)

彼らがどういうバンドなのかまだあんまりわかってなくて、改めて最近ずっと聴いてて。
いま、わたしがそれ媚びをひとことで言うとしたら諸行無常、どうしても抗えないものはある、いつか迎える死までを見据えて尚、生きる。

風の匂いがする、足の裏は土を踏んでいる、目線は前を向いている、近くには仲間がいる。

「やる、やらんじゃない、やれ、やれ、やれ」

「春の繁みまで歩いてく」

まるでバンドの名前を体現したかのような。だから、こんなにも揺さぶられるんだろうな。

それ媚びに出会ってから実は4年くらい経つんだけど、会うたび聴くたびすきになる。それ媚びがかっこいいバンドでよかった、私にとってはまだまだこれから、本当にありがとう、どうぞよろしく、の気持ち。








それからこの間は、達郎さんにも会えた。世の中がウィルスに騒ぎ始めた頃でもあって悩んだけど、悩みながら後遺症(友達が買って送ってくれてた)を再生したらその瞬間、いやいく!!!ってなったので、我慢できず。

折に触れて達郎さんが「ひとりになっちゃったので」といってたり、脳内で勝手に『ギター!』ってきこえてきて誰もいない上手側をちょっと見てしまったりもしたけど。

わたし、達郎さんのうたがめちゃくちゃに好きみたい。バンドから切り離しても、シンガーとしてめちゃめちゃに好きみたい。

痛いところもださいところもかなしいことも、全部愛してやろうとしてるような。
私も私の全部を愛してみたいな、なんて。

ダンディに出会った頃の感覚と、根底で通じてる気がする、そうかあれも、達郎さんがくれたものだったんだなあって。

あのころのダンディとも、最近のダンディとも、形式やうたってることややり方やなんやは違うけど、だからこそ。

これが正真正銘の達郎さんのうた、なら。
いまも歌っててくれて、うれしい。

おかえりなさいと、心から思う。


カーテンコールを聴く度におもう、この感情を愛と呼ぶことを教えてくれたのは、あなた達です、って。





ライブイズオーバー、愛が溢れて超ヤバイ。